文化は無力なのか

コロナが蔓延している。

 

こんな2020年を誰が想像しただろうか?

全てのイベントは延期か中止を余儀なくされ、

稀に開催されたイベント関係者は糾弾の対象となる。

 

Jリーグを含めたサッカー界も苦渋の時を過ごしている。

 

 

「不要不急のイベントは避けるべき」

 

 

人間の生活とは何だろうか?

不要不急とは何だろうか?

 

社会のインフラを回すことが「仕事」と定義するならば

本来、多くの「仕事」すら不要不急ではない。

 

銀行や家電などなくても

「食べるもの」と「寝るとこ」と「着るもの」があれば

生活は送れる。

 

衣食住ってやつだ。

 

効率化や、無駄なものを省く。

節約や、節制。

そして自主規制の先に残るものは

それこそ野生の生き物としての

「生きる」ための行動だけになってしまう。

 

 

こんな時、「文化」というものは一番弱い。

もっとも後回しにされるからだ。

 

過去、どれだけの美術品や芸術品、

どれだけの技術が軍事産業の前に消えていったのだろうか。

 

しかし、だからこそ思う。

こんな時だからこそ「文化」が果たす役割は大きい!と。

 

我々が愛するサッカーや野球やスポーツや

芸術や芸能や演劇は、素晴らしいのだ、と声を大にして言いたい。

 

どれだけ「生活」に必要な行動を続けても、

どれだけ効率を追い求めて、

 

劇場や、スタジアムや、音楽が呉れる

「熱狂」「感動」というものは得られない。

 

もちろん畑を耕して、芽が出た時の感動、とか

そういったものはあるのは理解している。

 

しかし、あれほどまでに感情が揺さぶられ、

過去を思い涙したり、

未来を思い感激したり、

予測不能な出来事に驚いたり、

素晴らしい技術に感嘆したり、

 

おおよそ、日常生活では感じられない

多くの「感動」が詰まっている。

 

それが文化だろう。

 

そして、その時々の感動のために

我々は日々の生活を頑張ることが出来る。

 

心の支えにも成りえるのだと思う。

 

 

これだけウィルスの脅威が叫ばれ、

経済の不安が大きくのしかかる、今だからこそ

 

文化 が持つ 強さを信じたいと思う。

 

このまま「必要ではないもの」として切り捨て要るのではなく。

この騒動が収まったときに、日常が返ってきたときに

僕らを力強く後押ししてくれるもの、それは「文化」そのものに他ならない。

 

どうか、この苦しい時期に

できるだけ多くの文化が残り続けますように。

 

これまで僕らはどれだけ「文化」に救われてきただろうか?

 

 

音楽を聴いて涙を流し

スポーツを見て勇気をもらった。

 

 

2020年

まだ苦しい時期が続くかもしれない。

 

それでも互いに助け合いながら

この時期を乗り越えたい。

 

そう思ってる仲間は大勢居ると思う。

 

文化は無力なのか?

 

 

否。

 

 

 

こんな時だからこそ、再開されるその時を待ちわびて

その期待の気持ちが原動力となり、

再興の道が開けていくだろう。

 

 

僕らは知っている。

 

 

決して諦めない事の美徳を。

そしてそれを教えてくれたサッカーというものの力を。

 

 

 

※ この記事は、2020年3月13日にアメブロ「虚言」で書いたものを移しました。

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